黒茶碗(長次郎風)  RK-1 赤茶碗(長次郎風)  RA-1 赤茶碗(光悦風) RA-2 白茶碗(光悦風)  RS-1
売約済 ¥577,500(税込) ¥577,500(税込) ¥630,000(税込)




長次郎

千利休が晩年「侘び茶」を完成させますが、その思想に適う道具がありませんでした。

それまで使われてきたものは中国や朝鮮半島・東南アジアからもたらされた器を

茶の道具に見立てたものが殆どでした。

そこで利休は瓦職人であったといわれる長次郎に自分の思いを託し、

茶碗を焼かせます。日本で始めて茶を飲むためだけの目的で工夫されたやきものです。

素材は熱が伝わりにくい土(聚楽第の壁土といわれています)を用い

熱が逃げにくいようにと上縁部は内に抱え込むように僅かに湾曲させ、

茶筅を振るとき茶が飛び散らないように碗内の中間で胴が絞られています。

さらに高台周りに軽く溝をつけ、点前のとき持ちやすくという工夫が施されています。

用の面ばかりでなく、全てに控えめで内に込めた強さがあり、

長次郎の茶碗は「利休の侘び茶」の真髄を体現したものと言えましょう。


当時は利休の名から取った「宗易型」とも「聚楽焼」ともと呼ばれ

そこから「楽焼」という言葉が生まれました。

後世になって長次郎は楽初代と呼ばれるようになります。


光 悦

本阿弥光悦は江戸初期の偉大な芸術家です。

本阿弥家は代々刀剣鑑定家として現代も続く名家ですが、光悦は刀剣鑑定にとどまらず、

書・漆芸・陶芸にも類稀な才能を発揮しました。

楽家とも交流があり特に楽三代目ノンコウとは互いに影響しあったといわれています。

長次郎の茶碗が無作為の美といわれるのと対照的に光悦の作品は非常に作為的です。

代表作のひとつ白茶碗「不二山」は国宝に指定されています。



杉本さんは立花大亀老師から「黒をやるなら長次郎を目指しなさい」と教示され

10年に及ぶ試行錯誤のすえ、長次郎と見まがうばかりの作品を完成させます。

赤茶碗・白茶碗は光悦の作品を師としています。