島津法樹さんのコラム
初出は「ハイハイQさんQさんデス」(http://www.9393.co.jp/)に
2004年8月から2005年11月まで連載された「損する骨董得する骨董」です。

第171回

儲かる骨董-実行編
6、虻も蜂もつかむタイプ-商売は人間関係
李朝初期堅手徳利

資金がないから骨董はシビアに買い付けた。
安く買うためと、交渉の楽しみを味わうため
すべて現地(海外)で買った。
たとえば三島の小皿など当時一枚500~1000円
(現在に換算して5000円から1万円)くらいだった。
そんな小皿が釜山の骨董屋の店先に10枚20枚と積んであった。
韓国でも近代化直前のことなので、
あちこち工事で古陶磁が掘り出されていたのだろう。
傷のないもの、釉薬のきれいなもの、
長興庫、内膳などと押印している珍しいものをより分け
5、6枚積み上げた。
一番上に出来るだけコンディションの悪いものを一枚乗せ、
「この山幾ら?」と交渉した。
値段が決まると上一枚はずして値引きしてもらい、
買い付けるようなシビアな交渉をやった。
「アイゴー!大阪人ね」と何度もいやみを言われた。

当時韓国は食糧事情も悪く、
食堂の飯は麦、粟、稗、小豆の混じったもので
しっかりかまないといつまでも消化しなかった。
しかし良いものが手に入ると、
そんな飯とサービスのキムチだけでも十分に満足できた。
若い時にこんな風に金を使ったことが大変勉強になった。
金を使う決断。
しっかりと考える癖、物怖じしない交渉力、などだ。
さらに歴史や美術、様々な国の人情など
楽しいことが沢山経験できた。
これらを通じて学んだことが会社の仕事の上でも生かされた。
入社4年目だったと思うが
ある日、上司の部長が、
「キミ若いし、あんまり早いので尻尾をつけておくよ」
と言って、課長代理の辞令をくれた。
尻尾は半年ほどで取ってくれた。

骨董をやっているといろいろな人と接するチャンスが生まれ、
会社の中では見えない世界も見える。
大手貿易会社の社長とソウルの骨董屋で出会った。
変なものを買おうとしているので声を掛けたのだ。
日本に帰って再会したが、
その人の肩書きにビビルことなく机の上の茶碗を
「ダメですよ。それ」などとやった。
ある代議士先生には「会社勤め、もったいないな」
と言われたりもした。

骨董収集を7、8年ほどもやっていると
手元に多くのモノが集まった。
その頃になると、将来は骨董屋になろうと夢を暖めていた。
そして40歳で独立することを考えていた。
知識は商売の源泉。
楽しい夢を実現しよう。