島津法樹さんのコラム
初出は「ハイハイQさんQさんデス」(http://www.9393.co.jp/)に
2004年8月から2005年11月まで連載された「損する骨董得する骨董」です。
第54回
商品学(タイ編)
2. タイ陶磁―買うならコレ、色気も備えた魚たち


スコータイ陶磁の中では
なんと言っても13世紀後半〜14世紀頃と思われる
初期の鉄絵魚文作品が魅力的だ。
中でも初期に焼成された鉄絵魚文の中には
擬人化された表情を持つ作品群がある。
幼い顔立ち、女の色気、
怒り、柄の悪い髭面まで様々なものがある。

これらの優れたものは昨今非常に少なくなっているが、
まだ少量フィリピンから出土する。
見込みに円を描き、
尻尾がその円から飛び出しているものがよい。
口と尾鰭の中央がちょうど水平になっているような
いきいきとした描写が展開されている作品がベストだ。

私見だが最初期の作品が
何らかの形でフィリピンに輸出されたように思われる。
この手の作品が出土する場所からは、
元染付けや明初の極めて優れた染付作品が
共に出土する場合がある。
フィリピンから魅力ある魚文皿を
これまでに数多く持ち帰ったが
何故タイから海を越えて
スコータイの焼き物が渡ったのか
まだ誰も明快な答えを出していない。
恐らく明初期の中国人渡航禁止政策が
影響しているのかもしれない。

タイ族ははじめ雲南省に住んでいたが、
南下して11〜12世紀ごろ
現在のスコータイの地に大きな勢力を持つようになる。
13世紀、クメールの支配を脱すると都をスコータイに築いた。
1238年のことで、
以後インドシナ半島に大きな力を持つようになる。
スコータイとはタイ語で幸福の夜明けと言う意味だ。

第3代ラーム・カムヘン王の時(1292年)
元朝遣使、間子志がスコータイを訪れている。
言い伝えでは、1294年と1299年に
王自らが元の都を訪れたとも言われている。
その帰途タイへ磁州窯の陶工を連れ帰ったとのことだ。
僕もこの言い伝えは事実だと思う。
後記するが非常に面白い物証を入手したからだ。

スコータイの窯跡から
龍泉窯の青磁作品の陶片や染付の破片が
数多く発見されている。
残念ながら磁州窯の陶片は入手していないが、
スコータイで焼かれた鉄絵作品を見れば
技術の伝播は明らかである。

僕はかつて元染付けのかなり大きな陶片を
この近くの堀屋から入手したことがある。
彼はシー・サッチャナライの遺跡で発見したと言っていた。
この陶片は手本とすべき絵文様を残したものである。
元時代の景徳鎮窯の陶工が
はるばるこの地に持ってきたもので、
極めて貴重なものであった。

中国窯業の技術を結集して焼かせた
スコータイ魚文の良いものは、
インテリアとしても最適のものである。
この皿を1点室内に置くと
南国の風がサーッと吹いてくる。

1292年記銘の石碑にはこうかかれている
『スコータイは大変良い。
 水には魚が住み、田には米がある。
 国王は人民から税金を取らない。
 象を売買しようとするものは象の商売をし、
 馬を売買しようとするものは馬を、
 金銀を・・・・・
人々の顔は明るく輝いている。』

スコータイ朝の豊かな時代が感じられるのである。
力強い運筆で描かれたおおらかな魚体は
文句なしにアジア第一級の美術品である。
まだあまり知られていないので
今良いものを入手されることをお勧めする。

 

 
14〜15世紀 スコータイ鉄絵魚文盤
 
14〜15世紀 スコータイ鉄絵太陽文鉢