2016.12.08  長次郎-2

利休の求めにより長次郎が初期に作った赤茶碗は縁が外に反った
熊川茶碗のような形でした。高麗茶碗を範に取ったものでしょう。
そして、後に「宗易型」と呼ばれる
内に抱え込んだような形になります。
利休の創意がそこに込められています。
赤楽に次いで黒楽。
赤楽は透明釉だけで発色は胎土から発していますが
黒楽は長石釉を掛けて焼かれ、
その中の鉄分により黒く発色します。
同時期に美濃では瀬戸黒が焼かれていますが
同じ成分の釉薬で、焼成中に取り出し
急冷させることにより発色します。
美濃の影響で長次郎の黒が生まれたのかどうかは
現在のところ詳らかになっていませんが、
影響し合ったことは間違いないところでしょう。




2016.12.08
  長次郎

言わずと知れた楽家の初代。
千利休が長次郎の手を借りて、その思いを形にしたと言われます。
室町末期までは、茶の湯に使われた道具は唐物・高麗物を
「見立て」として転用されたものでした。
利休は初めて創作の道具を茶の湯に取り入れて「侘び茶」を完成させます。
長次郎には先ず赤茶碗を作らせますが、
興味深いことに最近の研究では、聚楽第の長次郎作・獅子像瓦の
成分とこの赤茶碗の成分が同じという成果が発表されています。



2016.12.05
  伊賀 欠陥の美

古伊賀は桃山から江戸初期にかけての極く短期間に焼かれました。
信楽が農民の雑器だったのに対して、
当初から茶陶を目指して創られたものです。
古田織部が指導したとも謂われています。
伊賀の七度焼きと謳われたほど、何度も窯に入れられ
これでもかという程焼かれたやきもの・・・
焼けものと言ったほうが相応しいかも知れません。
遺されているものは数少なく、多くが割れたり歪んだりしています。
それを茶人の感性は良しとしたのです。
写真の作品は杉本貞光先生が通常1300度程度焼くのですが
或る時限界に挑戦しようと1400度を超すところ迄上げたことがあります。
その時の作品がこれ。
右半分は胎土そのものが熔けてしまったという凄まじい作品です。
その引き換えに美しいビードロと火色を呈しています。



2016.12.05
  ローマンビーズ

アフガニスタンのバクトリア時代の遺跡から
ローマ時代のビーズが出土します。
表面のオパールのような銀化が美しいものです。
金層ビーズは同時代に黒海南部で作られたもので
金箔をガラスでサンドウィッチするという
高度な技術で作られ
遠くはクメールの遺跡からも日本の古墳からも
出土しています。
オリジナルはシブい金色が美しいですね。



2016.12.04
  蹲る

信楽では、1000年の長きに亘り農民たちが自ら実用雑器を作り続けてきました。
その中で室町時代末期の茶人たちが茶の湯に取り上げたのが種壷と麻の緒を漬けて置く桶でした。種壷はその姿に侘びの精神性を見て、「蹲る」と名付けました。
蹲踞の姿勢、人が謙虚に佇む姿をそこに見たわけですね。



2016.12.02  玄覚(杉本)貞光

杉本先生は昭和の利休とも謳われた大徳寺・如意庵の故立花大亀老師の指導のもと、桃山のやきものに挑戦し続けている作家です。
先生との出会いは30年前に遡りますが、その頃はまだ信楽と伊賀を焼いておられました。
その後は、楽・高麗・美濃などどんどん研究を深められ、生涯のテーマである「桃山に還れ」を実践して、多くの名品を世に出しています。
80才超えた今、更に挑戦を続けられる姿には頭が下がる思いです。
  



2016.11.29 唐代加彩婦人俑

中国では古代より墓室に俑や什器を象ったものなどを明器として収める風習がありますが、唐代には三彩と加彩が見られます。
面白いことに初期の婦人俑はほっそりしており、盛唐に近づくにつれ、ふくよかになってきます。
楊貴妃はふくよかな美人だったのでしょうか。