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| 第1回 |
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人は何故美しいものを求めるのか
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| 美とは一体どのようなものなのだろうか。 |
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| 緑豊かな風景、 |
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| ローマの休日のオードリー、 |
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| 咲き誇る花や果実などを |
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殆どの人は美しいと
認めるのではないだろうか。 |
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骨董の世界においても
流れるような筆遣いの書、 |
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| 匂う様な呉須の施された元染付けの大壷、 |
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| 虹色に輝く南宋の油滴天目、 |
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神品といわれるほどに研ぎ澄まされた
定窯の白磁などは |
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まったく骨董に興味のない人たちでさえ
感動する品だ。 |
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| しかし一方において壊れた茶碗や |
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腕の取れた不安定な石像を
美しいと感じることがあるが、 |
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それらも心の中で落ち着いた
安定した姿を想像して |
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| 楽しんでいる場合が多い。 |
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やはり訓練や教養というものが想像を
補足していくのだろう。 |
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日本人の佗寂とは
この分野の発展的な形である。 |
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生物学的に美を分解してみると、
人間の身体のどこかに |
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ある種の美しいものを強く要求するDNAが
潜んでいるように思う。 |
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| 虫が食ったり腐ったりしたものよりは |
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丸々と太った木の実が誰しも
好ましいと考える。 |
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そのように太古より生物は
認識していたに違いない。 |
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恐らく美の最初の認識は
そんなものではなかったかと思う。 |
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| ある種人間が文化的な発展をとげると |
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丸々と太った木の実を
自らの近くに置くことによって |
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| 満足感や優越感、将来にわたる不安から |
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解消されるという感情が
働いたに違いない。 |
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| 文化や生活環境が変化してゆくと |
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それらのような木の実のようなものから
どんどん進化していって |
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| 絵画や彫刻、美しい家具などのように |
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人間の美の水準、欲求の水準が
変化していったと思われる。
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そういうわけでわれわれの周囲には、
本能的な美から感覚的、社会的な |
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| プライドのような美も生まれていった。 |
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これからも美はどんどん
変わっていくに違いない。 |
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| 骨董とは正にそういうものであって |
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他の動物と人間とをもっとも顕著に
区別するものである。 |
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自らの側において置くだけで
楽しく豊かになるもの、 |
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| それが骨董であり、 |
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人はそのような美をこれからも
高い次元で求めていくに違いない。 |
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