僕は時々自分の通ってきた道を振り返り、 こんなことが良くやれたな、と思う。
ほんの百年ほど前のことだが、 ドイツのシュタインやポール・ペリオたちが 貴重なアジアの美術品を本国に持ち帰っている。 このことは様々な書物で紹介されている。 僕がアジアの美術に着目したのは1970年ごろだから、 彼らとの時間差は60年そこそこのことだ。 彼らには強力なスポンサーが付いていて、 資金や通行に対しても言わせてもらえば、 至れり尽くせりの旅だった。
僕の場合ブーンと飛んでくるマラリヤ蚊、 強盗とあんまり変わりのない 押しの強い男たちとの駆け引きをやった。 オーバーウエイトで金を払わないと乗せてやらない、 という意地悪航空会社のカウンターなんかの苦労をして 本当にぎりぎりの仕入をやった。
更にシュタインやペリオなんかの時代は 精巧な偽物などなかっただろうから、 僕から見れば彼らの探検はちょろいもので 大名旅行だと言っても良い。 そんな僕の取っておきの苦労話を一話。
パキスタン北部の小さな村でボスと呼ばれる男と 親しくなるまでのコネクションを作る話。 始めカラチに入ってザイナブマーケットというバザールに行った。 あっちこっち覗いては「骨董品はない?」と尋ね歩いた。
インド・パキスタンの人達は ビジネスになると思えば非常に積極的であるが、 そうでないとまったく愛想がない。 中には声を掛けているのに聞こえない振りをしたり、 手をひらひらさせて 「あっちへ行け」と言うそぶりさえする者もある。
そんな連中の中で ちょっとビジネスマン風のじゅうたん屋の社長と取引をした。 彼の店で一枚5000ドルと言う イランのイスファーファンの絹のじゅうたんを 800ドルくらいまでに値切り倒した。 当時これと同じものが百貨店で300万円位していたから、 ペルシャ絨毯とはなんとボロイビジネスだろうとびっくりした。 金儲けというのは このように先発する人達が思い切り利益を取っているのだ。 当時百貨店の外商が持ち回りをやって そんな高価な絨毯がボンボン売れていた。
(この項続く・・・・・・)
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