一つ戦前までの骨董界について振り返ってみよう。 僕の手元に多くの名家売立目録がある。 目録には誰でも知っている大々名から、 著名な財閥家の名前さえ見える。 何故この頃に集中して名家の売立があったかというと、 昭和初期から10年ごろまでの日本を襲った強烈な不況のせいだ。 大名家や豪商などは江戸、明治を通して蓄えていた美術品を このとき手放したのだ。
膨大な骨董、美術品が蔵の中にしまいこまれていたが、 それを売って彼らは深刻な不況を乗り越えている。 骨董を売った資金を新たなエネルギーにして、 再生した会社や個人は数知れない。 この時代には美術骨董品が不動産や株、宝石などより はるかに手堅い資産として機能したのだ。 こんな現象は何も大名や豪商だけでなく、 地方の庄屋や小金持ち階級も同じだ。 そこにも波が押し寄せ小規模な骨董売りが見て取れる。 図録の売上金額を集計すると膨大な金額になる。 そんな大きな取引が 不況の中に生まれるのはやや疑問に感じるが、 どんな時代になっても美術骨董の売り手買い手は存在する。
たとえば昭和のはじめ頃の不況時には、 それまでの古い支配階級から新興実業家が台頭し始めた。 彼らは美術品を次々と買い集め その時収蔵された作品は 現在も著名な美術館として生き残っている。 電力王、松永安左エ門や、益田鈍翁、 あるいは鉄道で産を成した多くの人たちである。
第二次世界大戦で国が敗れ 日本人は美術品を振り向く余裕がない時代でさえ、 アメリカやヨーロッパのコレクターが来日し、 日本の古美術品を買いあさっている。 骨董品を売ったその資金でいち早くビジネスが興されたり、 会社が蘇生されたりしている。 その原動力になったのが蔵なのだ。
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