僕が経験した宋代定窯の洗の雰囲気を味わってもらおう。 骨董品を鑑定するとき、とても大切なことがある。 他に心を奪われるような出来事があったり、 思い込みを持ったりしていると、 どんな人でもつい間違ってしまうものである。 上手に作ってある偽物は、こちらの心の動きまで計算している。 ちょっとした傷、心憎い古色付けなど。 作家、箱書き、売り込みに来たディーラーのジャブそれらと シリアスな神経戦を展開する。 だから手渡された作品に傍に居る人が手を伸ばしたり、 裏返したりされると、ついあせってミスをする。 若いときは随分そんなことで失敗もあった。 最近では相当な雑音の中でも、 対象に集中することが出来るようになった。
中国宋代の名窯といわれる定窯の洗を手にした時の事、 作品は1500万と言うふれこみだった。 確かに神品といわれるほどの名品で 引き込まれるような何かを感じた。 僕は価格を頭から消した。 そして落ち着いて全体を見た。 アイボリーホワイトの白磁の肌から、温かみが感じ取れた。 このような定窯の作品は極上のものだ。 洗にはごくわずかな歪が生じているが、 これは生掛け作品が持つ特徴でもある。 涙痕と呼ばれる釉の流れが下から上に吹き上がっている。 ところどころに溜まった釉の中には 真円の小さな気泡が入っている。 ルーペで釉の肌をチェックすると、 かすかな擦り傷があちこちに残っている。 光に反射させると、 その小傷が波打つような優しさで「もやっ」と現れる。
このあたりは人それぞれに違った表現になるだろうが、 ディーラーはそれぞれノウハウを持っているものだ。 そして極端に薄い胎土に内、外から蓮華文が彫り込まれている。 それらは現代作家の彫り込みの様に流麗な線ではない。 しかし、下手なものでもない。 意識をしない、自然な彫り込みがなされている。 こんなところが体得できるようになれば、 焼き物からも相当なことが分かるようになる。 そして作った人の心の動きも見えるようになる。 時の経つのも忘れ一心不乱に向き合って彫り上げた線。 嬉しいことでもあったのか、 箆の動きが活き活きとし躍っているような線。 もうすぐ手仕舞いに入るので、仕上げを略してしまったような線。 それらを総合的に見て 作品の出来、不出来ということがわかるようになれば、 骨董趣味が楽しくてますます深い境地に入ってゆく。
※生掛けー成形し自然乾燥の後、釉薬を掛ける。 それに対し、先に生地を焼いた後釉薬を掛ける技法もある。
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