僕は脱サラをして
今関西で一番骨董屋が多い通りの
一角で商売をしている。
それだけに競争も激しい。
お客さんも遠いところから
足を運んでくださるので
しっかりとした商売をやらなければいけない
と自分に言い聞かせている。
こんな感じで20年間やっている。
同業者とは挨拶を交わしたり
イベントのときなどは協力して
仕事をやるので、
骨董業者の性格なども
少々分かってくるようになった。
この商売をやる人たちは殆どの人が
一家言を持っており、
表面的には柔らかいがそれぞれ
プライドが高い。
僕が昔素人の頃、
この通りで経験したことを話そう。
「この初期伊万里降りもの
(灰、砂)があるね」
「そうですな。無けりゃ今頃
ここにはありまへんな」
「高いでしょうね」
結構落ち着いた雰囲気の中、
高価そうなものを並べてあるので
中々値段が切り出せなかった。
「そりゃまあね」と、
値段をはっきり言わない。
陳列品にはプライスカードが
付いていなかった。
吹き墨の兎文の皿を
値打ちも知らずあれこれと
僕なりの講釈をしていた。
「なんぼですか」
「150万ですな」
「ええー!そんなにするん?」
といってちょっと乱暴に置いた。
「お客さん、お若いから無理あらへんけど
置くときは注意しなさいよ。
私ら丁稚の頃はカタッとでも音を
立てたらどつかれましたんやで」
「音ぐらい立てておいたかて割れへんやろ」
注意されてむっとした僕は
もうこの店から出ようと思った。
「古いもんは目に見えんニュウがあって
ちょっとした衝撃でわれることが
ありまんねん。
割れたらお互い不幸でっしゃろ」
何か心の中にグサッと突き刺さるような
言葉だった。
「品物を持ち上げたり横へ動かす時は
物から目を離したらあきません。
お客さんの中にはあせりの人もおりまして
皿を掴んでいるのにその先の壷を
見てる人がいて、手元が疎かになって
横の物に当てよりまんねん」
この言葉が今でも僕の中で生きている。
色々言われたが結局その店で
古伊万里の皿を一枚買った。
高ぶらずに客をリードして
作品の扱いまで教えてくれるような
店にはきっと良いものがある。
その人はもう何年も前に
亡くなってしまったが
本当は物腰の柔らかい人だった。
良い店とは良い主人のいる店だ。
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