福岡県沖ノ島宗像大社の本宮である
小島から唐三彩の破片が昭和29年と
44年に発見されている。
そのほかにも奈良の大安寺や
三重県朝日町の縄生(なお)
廃寺跡からも出土している。
唐三彩は我国では10箇所ほどの
遺跡から出土しているだけだ。
唐時代に作られた他の陶磁器の
出土例と比較すると
極めて少量の遺例であるといえよう。
二十数年前に骨董商を立ち上げた僕などは
当時早く唐三彩を扱えるような
身分になりたいと
心から願ったものだった。
しかし、唐三彩が日本のマーケットに
早晩現れるであろうということを
予想させる兆候はあった。
それは1975年ごろの頃であった。
当時僕は会社勤めで美術関係の
仕事をしていた。
ある日、僕の上司である
K重役に呼び出された。
「キミ、ご苦労だが北京に行ってくれんか。
向こうが骨董を売るといっているから
うちでも取り扱えるものがあれば
買ってきてくれんか?」
と言う。
是非一度本場中国に行きたいと
思っていた僕にとっては
願ったりかなったりの興味のある話だった。
国交正常化されて間もない頃のことだった。
日中友好協会の橋渡しで
中国共産党青年同盟の招待を受け、
十日間程の調整ですぐにビザが発行された。
何をお土産にしようかと迷ったあげく、
デニム地のスカートや胃薬など
タップリ買い込んだ。
そして蒸し暑いジメジメした梅雨空の
日本を発ち北京に向かった。
今だったらそんなお土産など
鼻の先でフンと蹴飛ばされるものだが、
これは大変役に立って様々な
人間関係を結ぶのに有効だった。
確か香港経由飛行機は乗り心地の悪い
ソビエト製で
中華航空だったように思う。
北京の空港に着陸寸前上空から
見た市街は黄土色一色だった。
建物はレンガ造りの5階建てくらいの
低いものばかりで、
明るさのない殺伐とした風景だった。
そんな中をゴーッとエンジンを
ふかしながら機が着陸した。
伊丹や香港は市内にあって
滑走路が短かったせいか
北京の空港の建物は低く不細工だったが
滑走路だけは異様に長いと
頭のどこかに記憶している。
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