北京飯店も紅旗と同じで
天井は高く部屋は広いがカーテンが黄ばみ、
ベットは大きいが少し湿っていた。
バスタブは浅い洋風で
湯の位置が臍位しか来ないのに
2メートルほどの長さがあって
全身浸かろうとすると、首を湯の中で
持ち上げておかねばならず、
甚だ入り心地の悪いものだった。
陶器できているのであちこち割れていて
パテで補修してあるのが貧乏たらしい
感じだった。
これが特権階級の人々が泊まる、
世界に名だたる北京飯店の実情だった。
誰が言ったのか、
中国にはハエが一匹もいなくて
清潔でどこかに忘れ物をしても、
必ず荷物が後ろから付いて来て
必ず持ち主に届くと言う神話を
広めた人がいた。
しかし北京飯店の中も
ハエがいたことを明瞭に記憶している。
そのうち何とかベットの
湿っぽさにもなれてきた。
起きて半畳寝て一畳の
狭い日本の我が家のほうが
よっぽど心地よいと思いつつ寝てしまった。
黒い電話がビービーと起こすので
受話器を取ると
何もいわずにがちゃっときれた。
これがモーニングコールだった。
朝食に出かけた。
さすがに北京飯店と書いてあるだけに
食べ物は美味しかった。
メニューは忘れてしまったが、
朝食だというのに結構色々あって、
僕は大いに食った。
中で記憶に残っているのは
丸い土器風な器に入れられた
ヨーグルトだ。
上に黄色っぽい紙が張ってあって
ベリッと破ると
牛乳の塊のようなものが入っていた。
恥ずかしながら僕は
29歳までヨーグルトを
食べたことがなかったのだ。
白い服を着た給仕に3回お替りすると
なんとなくこれが最後ですよという
雰囲気が漂った。
天井では役に立たない扇風機が
勝手にくるくると回っていた。
小野妹子も空海も栄西もヨーグルトを
食べたのだろうか。
西域から伝えられたと思われる
ヨーグルトの作り方や
でっかい器に葉っぱがぷかぷか
浮かんだお茶も
日本に持って帰ったのだろうかと思いをめぐらした。
空海はどんな焼き物を持って
帰ったのだろうか
と想像をしたりして、
この出張では良い唐三彩を
是非入手してやろうと
器の中に残ったヨーグルトを
未練たらしくスプーンでかきとりながら
口に運んだ。
ふと斜め横を見ると先ほどの給仕が
手に白いナプキンを持って
僕をじっと見下ろしていた。
その目はまるで京都国立博物館で見た
唐三彩の文官俑の目だった。
どこか慇懃無礼で何を考えているのか
よく分からない奴だった。
|