ベトナム陶磁の最も古いものは
ドンソンの土器であろう。
窯を用いて焼かれた陶磁器としては
中国の後漢時代の作品と
よく似たものがあり
1980年年代から次々と発見されている。
これらの陶磁はベトナム人が作ったと
言うよりは
ベトナムに移り住んだ中国陶工の
手によるものかもしれない。
1991年ベトナムは開放政策に転じ
外国人の入国を認めた。
わずかに開いた竹のカーテンを潜り抜けた
僕の骨董ハンティングを紹介しよう。
旧南ベトナム政府の大統領府近く、
ドンコイ通りをメコン河に向かって
ぶらぶらと歩いていた。
解放政策が始まってわずか
2ヶ月後だと言うのに、
この通りにはもう5,60軒の骨董屋が
店開きをしていた。
どこの国でも混乱から立ち上がり
復興の槌音が聞こえ出すと、
メインストリートに外国人目当ての
店が開かれる。
最初に店を出すのは骨董屋と
レストランである。
この通りもその例にたがわず、
骨董屋が店開きをしていた。
どの店にも土まみれで手入れが
行き届かない掘り出したばかりの
陶器や銅器が並んでいた。
その中に中国漢代の耳盃と
全く同じものがあった。
「親父さん、これ中国のもの?」
「さあ、ワカリマセン」
俄仕立ての骨董屋は経験も何もない。
土が付いているので古いものだと
言って売っているだけだ。
だからこの通りの骨董屋の商品は
全部自分が判断して
買い付けなければならない。
僕が取り上げた耳盃の辺りにも
脚付きの壷や首の長い瓶などが
ごろごろ転がっていた。
僕の顔色を店主がじっと伺っている。
どうやら客の表情で値段を
決めるつもりらしい。
南ベトナム人はベトナム戦争以前、
東南アジア一の商売人といわれていた。
「この作品は全部同じところから
出たものです」と
土間の土器を指差しながら言う。
「アンタが掘ったん?」
「いいえ、ハノイの堀屋が
そう言ってました」
戦争で負けた南ベトナムの商売人が、
戦争で勝った北ベトナムの古墳を
ところかまわず掘り返させているらしい。
歴史の皮肉と言うヤツだ。
耳盃は中国の漢代から晋くらいにかけて
たくさん作られている。
殆どが緑釉か青磁である。
しかし目の前にある耳盃は灰釉と言って
やや白い土に灰釉をかけただけの
シンプルなもので
今までに見たことのないタイプだった。
その作品に水を掛けてみると
プーンと土臭い匂いが小さな店内に漂った。
「これは絶対に古い」と直感した。
他の壷や皿にも水を付けてみたが
皆同じように古陶磁の証である匂いが
ブンブンとした。
「これいくら?」
「30ドルです」
むちゃくちゃに安かったが
一応半分に値切ってみたら
すんなりと言い値になった。
なんか得したような、損したような
複雑な気持ちに陥った。
そこで土間の10点ほどの品物全部を
まとめて買うからと言うと、
「300ドルでどうか」というのだ。
先ほど半分で「いいですよ」と
言われてしまったので
今度は三分の一の「100ドルでどう?」と
かなりきびしい線を出した。
また「いいですよ」と言われてしまった。
当時のベトナムでは喉から手が出るほど
外貨が欲しかったのだ。
特にドルさえあればどんなことでも
可能だった。
後日この骨董商の人たちの中から
ホテルの経営者、貿易業、レストランなど
ビッグビジネスを立ち上げて
成功している人たちが出ている。
ベトナムでいち早く外国人に接し
資金を入手するのは
骨董が一番手っ取り早かったのだ。
明治維新の日本、戦後の混乱期における
ビジネスも同じようなものだ。
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