第8回
朝鮮美術
 

ある日僕の店に目つきの悪い

小柄な男が入ってきた。

「社長さん、さようなら。

いらっしゃいました。」

と訳のわからないことを口走りながら、

にぎやかにやってきた。

なんかなと思ってこちらも

身構えてしまったが

身振り手振りでコミュニケーションを

交わすと、中朝国境の丹東から

朝鮮陶磁を持ってきたので、

買ってくれということだった。

少しやばいかと思いながら

作品を見ることにした。



それは新聞紙に包んで

上をガムテープでぐるぐる巻きに

したものをだった。

ナイフを持っていないようなので、

包みを開ける為

カッターを渡そうとしたら、

一瞬早く、ガムテープに噛り付いて

バシッとテープを引き剥がした。

僕の歯だったら完全に折れてしまう

くらいの迫力だった。

新聞紙をといてみると

そこから出てきたのはすばらしい

翡翠色をした高麗青磁だった。

白黒象嵌は十二世紀頃の高麗王朝の

最も華やかな時代のもので

柳と水鳥を表したかなりの

値打ちの瓶だった。



びっくりして「これはいくらなの。」と

聞くと逆に「社長さん、いくらですか。」

と聞いてくるのだ。

何軒かの店を回ったらしいが

胡散臭い男はこの辺りの店では

相手にしてもらえず

かなり自信を失っていた。

彼はほとほと困り果てていたようだった。

思い切って市場価格の十分の一くらいの

値段を言ったが、

かなりの金額だと思ったのか、

しおらしく「お願いします。」と言って、

持ってきた荷物をどんどん開けて

テーブルの上に置いていった。



さらに「次に来るときに

はどんなものがいりますか。」と

紙に絵を描くように言うのだ。

茶碗や壷などほしいと思うようなものを

絵に描いたり、

図録を見せたりして渡すと、

一ヵ月後に大きなトランク一杯

びっしりと荷物を運んで来た。

初めの時はジャンパー姿で

ばさばさの髪だったのが、

次の時はもう安物の背広を着ていた。

しかし足元を見ると革靴は汚れ放題で

時計も持っていなかった。

彼が持ち込んできた品を

殆ど買ってやると、

とても喜んで第1回目と同じように

またどんなものがいるのか

絵を描けというのだ。

お金を支払うと彼は財布を取り出した。

なんとその中には100万ほど

キャッシュが入っていた。

きっと僕の店に来る前にどこかで

荷物を降ろしてきたようだった。



3度目に来た時はこざっぱりとして

結構センスのいい背広や靴、

ダイヤモンドの指輪に

本物か偽者かわからないが

ロレックスもはめていた。

この辺りから荷物が少しずつ少なくなって

値段もそこそこの水準になってきた。

そうすると彼だけではなくて李さん、

朴さん、金さんと

20名くらいのディーラがしょっちゅう

やってくるようになった。



マーケットはその彼らの訪問

と比例するように

どんどんと値段が下がってきて、

韓国陶磁は絶対下がらないと言う神話が

崩れてきた。

そうこうしている内に1997年、

韓国経済がIMFの管理下に入ると

韓国国内において

骨董のような必需品でないものを

買う人はいなくなった。

僕の店でもよく買い付けに来てくれた

韓国のコレクターやディーラーなども

ぴたっと来なくなってしまった。



そんなわけで朝鮮骨董も動きが

悪くなっている。

日本人の朝鮮陶磁好きは

根強いものがあって

それなりに動いてはいるのだが

鳴かず飛ばずの状態が続き、

今日に至っている。

しかし韓国の陶磁器は

中国陶磁や伊万里などと比べても

数は少なく、韓国経済が上向き、

日本の経済が今少し立ち直れば

急回復する可能性がある。

今、よい作品を買い付けておくと

非常に楽しいことになるだろう。



特に狙い目としては

李朝初期の徳利や、高麗青磁の小物、

分院の文房具や瓶などは

いい線だろう。

韓国人コレクターは日本人のように

海外の作品をコレクションする

習慣が殆ど無い。

自分の国の骨董品以外目もくれないのだ。

景気さえ立ち直れば

少ない作品であるから値段は

跳ね上がるだろう。

骨董マーケットは

十分に成熟しているから。