「へーこんな人も来るの?」 ガラスの下の名刺をトントンと付いた。 「あなた3日前に話してた人じゃないの」 と言われてしまった。 あ、それで何処かで見たような顔だと思ったのだ。
ここだけでなく、バンコクの骨董店の天板の下には 結構有名人の名刺が挟んである。 ○○電鉄の会長、右翼の大物や、政治家なんかの名刺もあった。
帰国してしばらくチェンマイのことを忘れていた。 ある日新聞でその年の長者番付を見て僕は驚いた。 あの会長の名がなんと全国6位に載っていた。 それにこの頃タイの骨董屋達が言うのには 「日本人コレクターのNさんが買っているので バンチェンが値上がりしている」と。
ぼくはNさんに手紙を送った。 「私の店にもタイの珍しい陶器があるので来店してください」 と書いたのだ。 あまり期待もしていなかったが、 ある日表に黒塗りのセンチュリーが止まった。 運転してるのは確かチェンマイで会った小柄な女秘書だった。 「よく来ていただきました」 といいつつ店の中へ案内した。 8坪ほどの店をNさんは入ってくるなり一瞥した。 そのころは今よりもっとお金に余裕がなかったので、 展示ケースがわりに安物の本棚を並べ、 中に作品を沢山陳列していた。
「なかなかよいものをおいているじゃないか」 といって次々と本棚の品物を取り出しては うれしそうに眺めている。 5時間ばかりいて「これもらうよ」 とバンチェン土器と安南の染付の皿を指差した。 当時2つで25万円とプライスカードをつけていたのだが、 少し値引きさせてもって20万円で買ってもらった。 帰り間際、 「君もがんばっているんだね。時々事務所にも来なさい」 といわれた。
僕は結構気の回るほうで、 タイの奥地までその女秘書が付いて行くくらいだから サービスをしたほうがよいだろうと気を使った。 小さな宋胡録の小壷を 「これどうぞ」といって彼女にそっと渡した。 二人の顔が何かちょっと固くなったような気がした。 後日事務所に電話を入れても 全くコンタクトできなくなってしまった。 せっかくの大コレクターを小さな小壷で逃がしてしまった 地獄のような本当の話だ。
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