島津法樹さんのコラム
初出は「ハイハイQさんQさんデス」(http://www.9393.co.jp/)に
2004年8月から2005年11月まで連載された「損する骨董得する骨董」です。

第136回

<とぴっく10>
アジアのリッチマン<韓国編>―家長的なワンマン会長
 
李朝後期分院牡丹文丸壺

2月下旬、店の外は空っ風が吹いていた。
そこへ女性通訳付の4人連れがどっと入ってきた。
通訳が、
「韓国から来た金持ちだから、いいものを見せてあげてください」
と切り出してきた。
にこやかな紳士、奥さんはこの寒い中薄ピンクの半袖セーターだ。

通訳連れで来る客は大概大物なので、
僕は気を引きしめて対応した。
10点選んだ彼らは物凄く値切りがきつかった。
そのうち奥さんがこの店は暑いと言い出した。
店内は22,23度くらいに温度設定をしているが、
暑いと言うので暖房を切った。
さらに2箇所あるドアを開けろという。
2月の寒気がサッーと店内を凍らせた。
すると今度はドアを開けたまま、
暖房しろというわがままなオーダーだ。
結局僕はコートを着て商談をすることになった。

その時は5点ほど品物を買ってもらった。
そんな取引を数回繰り返しているうち、
美術館を作っているので一度韓国に着て欲しい
という依頼が舞い込んだ。
通訳の金さんとプサンに行った。
空港に着くと李会長が待っていた。
ここから僕が見た現在の韓国のリッチマンの一面を紹介しよう。

空港の出口にベンツがドーンと我物顔においてあった。
運転手は空港警備員に注意されるのかオロオロしているが、
会長は一向に平気である。
急いで車に乗ってしまえばいいのに、
僕とゆっくり挨拶を交わす。
秘書と運転手は再々警備員に笛を吹かれ、
すがるような目でこちらを見ている。
僕と会長は車に乗り込んだ。
このパフォーマンスが韓国社会における大物の証のようだ。

プサン空港から車で2時間ほど行ったところに、
ハイテク関連の工業団地があった。
その工業団地の一角に山を削って李会長の家があった。
地下2階、地上5階のビル全部が彼の家だと言うのだ。
地下が厨房とレストラン、1階がエントランスとホール、
2階、3階が美術館になっている。
4階がシアターになっていて椅子が6、70席ほどあった。
ここで映画を上映したり、講演会を催したりするらしい。
5階が住居とゲストルームになっていた。
その5階には二つのとてつもなく大きな
サウナルームが設置されていた。
そこに4人で暮らしている。

元に戻ろう。
李会長が1階の車寄せに車を止めさせると、
20人くらいの人達が一列で出迎えた。
僕の店に一緒に来た奥さんと、娘さん、息子さんが
その後ろに並んでいる。
20人くらいの中から会長が美術館担当の人を呼んで僕に紹介した。
そして僕たちを引き合わせると、
ゲストの僕をほったらかし、いなくなってしまった。
代わりに奥さんと娘さんが出てきて、
その場にいる人達を顎で使い始めた。
ここに来た目的がさっぱりわからないので
通訳の金さんに
「なんでここへ呼ばれたんでしょうかねぇ?」と訊いた。

                (この項続く・・・・)