その後10年位してから 骨董好きのラルウさんと ちょくちょくウジュン・パンダンで会った。 近くの海に沈没船でも沈んでいるので、 引き上げているのかなと思っていた。 ウジュン・パンダンには2、30軒の仕入先がある。 ある時鉄製の鍵やドアノッカー、風見鶏、デルフトのタイルなど、 味のよい時代物の建築部品が大量に出回りだした。 この方面は特に専門でもないので幾つか買っただけだった。 建物にでも取り付ければムードがあるものだ。
ある仲買人に「なぜこんなに沢山あるの?」と訪ねると 「知らないの?港の倉庫を壊しているんだ」といわれた。 「あんな世界遺産見たいな建物を壊してどうするの?」 「ラルウがあの一帯を買って新しい港を作るらしい」というのだ。 彼が再々ウジュン・パンダンに来ているわけがわかった。 そのうちたくさんあったノッカーや風見鶏などが なくなってしまった。 おまけにみなと近くに小山のように積んであった 古煉瓦やタイル、瓦までもなくなってしまった。 聞くところによるとラルウさんが 一日150円くらいで人夫を雇って仕分け、 オランダやアメリカ、日本へ送ったという。 はじめ倉庫や家を壊したとき重機を使っていたが、 骨董好きな彼は 廃材をアンティーク好きな欧米人に売ることを思いついたそうだ。 倉庫をつぶし廃材として出た ドアノッカーやレンガ、窓枠を売上た金で 倉庫街の買収費用の10%ほどが賄えたと人づてに聞いた。
新しい港が出来ることをいち早くキャッチし、 誰も動かないうちにだーっと買い占める。 こんなやり方でインドネシアでは一部の人が大儲けするようだ。 それにここら辺りのリッチマンはやることがとても細かい。 日本人だったら古い家を壊すとき、一度に壊してしまう。 せっかちには金なりという言葉通り行動してしまう。 しかしインドネシアでは時間と人手は幾らでもあり、 廃材でも徹底的に利用するのだ。
倉庫の煉瓦は1個50セントで売れたそうだ。 街全体の倉庫で使われた煉瓦は 100万や200万の数ではないだろう。 こんな細かいところの目のつけ方、発想を 我々も持ったらどうだろうか。
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