「これ、台帳や。幾らでもいいから値段をつけて」と言う。 「アンタがつけてくれたら、こちらで買い付けやる」という。 ざっと見渡したところ、どれもこれもセンスが悪い。 よく見ると、先日倒産したアパレルの会社の 名前入りのブロンズがあった。 きっとあの会社のものだと思った。
「これ値段付きません。一山幾らの世界です」と言ったら、 Dさんの顔が一瞬『きっ』と引き締まった。 茫洋とした顔が急変すると怖かった。 「全部で100万もしないでしょう」と言うと、 僕が持っている台帳を指差しながら、 「それには4000万と書いてあるで」と言う。 「だから会社がつぶれるんですよ」と応じると 「マ、そこそこで買うわ」とDさんがあっさり言った。 2時間ほどでこの件からは開放された。
数日後Dさんがやってきて、 「あの仕事は面白かった。これ鑑定料」 といって信楽の中堅作家の花入れを一つくれた。 「30万円もする花入れやで」と言うが、 僕ら骨董屋が値付けすると五千円くらいの物だ。 そのことは彼も良く知っているはずだが、とぼけている。
こんな風にあちこち首をつっこんで、 Dさんのコレクションは出来上がった。 ある時、見に来いと言うので家に行くと、 応接間から廊下まで鎧兜、信楽の大壺から茶道具まで 物凄い量のコレクションだった。 しかし、ほとんどがびっくりするほど筋が悪い。 大して値打ちが無いのだ。 でもDさんは以前言っていた。 「これから皆がバタバタするから、 俺はゆっくり見物するんや」と。
人間何もしないで生きることは出来ない。 これはこれでよいのかもしれないが、何か少し空しい気もする。 日本中が沸いたバブル期、 骨董の世界にもいろいろな人が入ってきた。 損をした人、得をした人いろいろあった。 しかし概ね億万長者は情報も早く、うまく身を処されたようだ。
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