骨董をやりだして30数年が経つ。 はじめのうちは本に載っているもの、 美術館にあるのと同じようなタイプの作品を一生懸命探した。 買ったものと同手の作品が雑誌に載っておれば、 嬉しくていつまでも雑誌を眺めたものだ。 特に○○万円などと評価でもされていれば一人悦に入った。
プロになって20数年、近頃は美術館にあろうが無かろうが、 本に載ろうが載るまいがそんなことはあまり考えなくなった。 長い間に骨董を見る自分の見方が、 少しずつ変わってきたように思う。 たとえ他の人が評価していないものでも、 よいものはよいという自分の価値観で探し出している。 また、このことはとても大切な自分のライフワークだと思っている。
骨董を楽しもうという人に伝えたいことがある。 李朝なら李朝と、一つのものを見る目を肥やすことだ。 一つのことが確実に見通せるようになると、 骨董は他のジャンルも自ずから見えてくる。
僕が初期に興味を持ったのは東南アジア陶磁だった。 マニラで見た鉄絵魚文の大鉢だったが、 その出会いの強烈な印象を今でもはっきり思い出す。 人生強烈な出会いは皆それぞれあると思うが、 僕の場合骨董との出会いがその後の生き方まで変えてしまった。 魚文大鉢を買い取り、毎日毎日暇があると眺めていた。 (これが骨董入門) 昨今のようにパソコンが無いので、 図書館や古書店アサリをやった。 1年ほど後とうとうその大鉢の素性が割れた。 タイの14世紀スコータイ窯の作品だった。 後はタイ中部現地へ行って美術館にある作品を見たり、 窯跡へ入って山ほど陶片を拾ったりした。 タイ陶磁の面白さに惹かれていくうちに、 成形の癖、絵付の特徴、胎土など細かい特徴をつかんでいった。 この目がその後、骨董商をやる基礎になったのだ。
東南アジアの陶磁がまだ殆ど知られていない時、 自分で研究するのは大変な労力がいった。 それだけに楽しくて興味の尽きないものだった。 そのうち東南アジアの美術品であれば 彼に見せようと言う具合になって 骨董商の中でも今そのジャンルで少し頑張らしてもらっている。 そんな中でつかんだ各地各窯の名品の見方を次回から紹介しよう。
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