島津法樹さんのコラム
初出は「ハイハイQさんQさんデス」(http://www.9393.co.jp/)に
2004年8月から2005年11月まで連載された「損する骨董得する骨董」です。

第187回


骨董を見る目―真贋を極める損する骨董

金河南天目黒釉銹花鉢

骨董をやりだして30数年が経つ。
はじめのうちは本に載っているもの、
美術館にあるのと同じようなタイプの作品を一生懸命探した。
買ったものと同手の作品が雑誌に載っておれば、
嬉しくていつまでも雑誌を眺めたものだ。
特に○○万円などと評価でもされていれば一人悦に入った。

プロになって20数年、近頃は美術館にあろうが無かろうが、
本に載ろうが載るまいがそんなことはあまり考えなくなった。
長い間に骨董を見る自分の見方が、
少しずつ変わってきたように思う。
たとえ他の人が評価していないものでも、
よいものはよいという自分の価値観で探し出している。
また、このことはとても大切な自分のライフワークだと思っている。

骨董を楽しもうという人に伝えたいことがある。
李朝なら李朝と、一つのものを見る目を肥やすことだ。
一つのことが確実に見通せるようになると、
骨董は他のジャンルも自ずから見えてくる。

僕が初期に興味を持ったのは東南アジア陶磁だった。
マニラで見た鉄絵魚文の大鉢だったが、
その出会いの強烈な印象を今でもはっきり思い出す。
人生強烈な出会いは皆それぞれあると思うが、
僕の場合骨董との出会いがその後の生き方まで変えてしまった。
魚文大鉢を買い取り、毎日毎日暇があると眺めていた。
(これが骨董入門)
昨今のようにパソコンが無いので、
図書館や古書店アサリをやった。
1年ほど後とうとうその大鉢の素性が割れた。
タイの14世紀スコータイ窯の作品だった。
後はタイ中部現地へ行って美術館にある作品を見たり、
窯跡へ入って山ほど陶片を拾ったりした。
タイ陶磁の面白さに惹かれていくうちに、
成形の癖、絵付の特徴、胎土など細かい特徴をつかんでいった。
この目がその後、骨董商をやる基礎になったのだ。

東南アジアの陶磁がまだ殆ど知られていない時、
自分で研究するのは大変な労力がいった。
それだけに楽しくて興味の尽きないものだった。
そのうち東南アジアの美術品であれば
彼に見せようと言う具合になって
骨董商の中でも今そのジャンルで少し頑張らしてもらっている。
そんな中でつかんだ各地各窯の名品の見方を次回から紹介しよう。