ラオス陶磁は全く知られていない。 隣国のタイにおいてさえ、無関心だ。 バンコクの骨董屋が集まっている リバーシティという商業ビル内での出来事だ。
僕は知り合いのアノンさんの店に行った。 店内には備前焼に似た渋い壷や瓶、鉢が20個ほど置いてあった。 それらは「カセ」 (長年月の間に釉薬部分がすりガラスのようになること) という酸化部分があり、 硬くこびり付いた土からも 4〜500年は十分に経過しているものと思われた。 タイ中部スコータイ窯の古い作品などとは 明らかに胎土が違っている。 鉄分が多く、よく焼きしまる。 日本にもって帰れば南蛮モノとして そこそこ売れる作品だと目星を付けた。
「どこの焼き物?」と聞いたが 「アンタの方が専門家でしょう」 とアノンさんは自信無げに言うのだ。 何でも扱うラオスの運び屋が持ってきたという。 僕はラオス北部の焼き物ではないかと考えた。 これが15年ほど前のことだ。
メコン河を挟んでタイとラオスが 南北に長い国境線を引いている。 昨今この東南アジア最大の河のいたるところで 古窯跡が発見されている。 14〜17世紀ごろ、 日本で言えば鎌倉から江戸初期に相当する作品だ。 時代があり、茶の湯に向く器も多い。 僕もこの手の焼締の作品を数年間探し回って やっとあるところで発見し、発掘して 沢山の壷を持ち帰ったことがある。
よく焼け焦げたものは赤く発色して 焦げた肌が焼き物好きの日本人の美意識をくすぐる。 形状の良いものは侘びた道具として喜ばれ、 とても値打ちのあるものだ。
ラオス陶磁はまだ殆どの人が目を付けていないので これからも面白いジャンルだ。 そんな焼き物を探して メコン河上流域河、タイ、ラオス国境を歩いている時 小さな村で出会ったエピソードも付け加えておこう。
ベトナム戦争の激しかった時、 北ベトナムのゲリラは南下するのに この辺りを通っていたらしい。 幾つかあるホーチミンルートの一つだったようだ。 米軍対北ベトナム・パテトラオ連合軍との激戦があったところだ。 河のあちこちに赤錆びたソビエト製の哨戒艇や米軍の船が 無残な姿を曝している。 そこは嘗て激しい砲撃戦が行われてた場所なのだろう。 村人はその砲の薬きょうや砲弾を拾い切断して鍛錬し、 非常に良く切れるナイフや斧、鍬、鋤を作っていた。 鍛冶屋の横には砲弾や薬きょうが山積み状態で置いてある。 日本刀は砂鉄を使って鍛え上げるのだが、 ここでは戦争で落としていった砲弾を廃物利用している。
珍しい物好き、話題好きの日本人だから これは大きなセールスポイントになるのではないだろうか。 どなたかアメリカ製の優秀な砲弾のナイフやスコップを 取り扱ってみたらどうだろうか。 珍しいからきっと売れる。 ひょっとした古い陶磁器より面白いかも。
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