タイのスコータイでいつも訪ねる仲買人の家の前に、 バンコクから回送してきたと思われる ロールスロイスが停まっていた。 当時この辺りは、ユネスコの後押しで 遺跡の保存事業が急ピッチで進められていた。 その為タイ美術の一級品があちこちで発掘され、 世界中のディーラーが買い付けにやってきていた。 大金持ちもいるし、 僕みたいな駆け出しの貧乏人もうろうろしていた。 当時僕のタイ滞在の食費などは一日50円くらいだった。
いつものように挨拶もせず、仲買人の家に上がりこみ、 二階への階段を「とん、とん、とん」と駆け上がった。 仲買人は留守で、彼の嫁はんと65、6歳くらいの白人男性、 40歳くらいのガールフレンドと思われる白人女性がいた。 男性はこれまでに遭遇したことのないタイプで、 僕には理解不可能な複雑な表情をしていた。 どこか神経質そうでいながら、商売人みたいで捉えどころがない。
僕に気づいた仲買人の嫁はんがちょっと困ったような顔をした。 取り合えず、常連の僕が逃げないように こちらに笑顔を送ってくる。 そのうち彼女は方針を決したのか、 その場にいる白人を僕に紹介してくれた。 これで席が立てなくなった。 仕入先で会う人はすべてライバルなので、 僕は挨拶もそこそこに、 彼が選んだ作品にチラッと目を走らせた。
「タイの焼き物、好きですか?」お愛想のつもりで訊いた。 彼は少し肩を上げて顔を振った。 その仕草から僕は彼がディーラーではなく、 単なるコレクターだと読んだ。 それならばとテーブルの上の、彼が選んだ品々を解説してあげた。 すると「オー!グレート」とか「アイシー」とか言って 熱心に聴いてくれるので、 座り込んで本格的にタイ陶磁の見方をコーチした。
そんな時間が約2時間続いた。 終わると二人は丁寧にお礼を言いつつ、 滑りやすい階段を用心しながら下りていった。 その時に気づいたのだが、 この家の周囲をタイの警察がぐるっと取り囲んで警備していた。 彼はかなりな大物だ。 嫁はんに「あれ誰?」と訊くと 「ロンドンのバンカー」とだけ教えてくれた。 結局彼らは何も買わなかったらしく、彼女は無愛想な顔をした。 彼らが置いていったテーブルの上の作品を 僕にしつこく押し付けてきた。
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