「ノリキさん、あなたの言った意味良く理解できました」 と言いながらバンさんが僕の店にやってきた。 「今ベトナムで何をしたら儲かりまっか?」 と上手な大阪弁で聞くので教えてあげた。 「アンタ一人で通訳して稼いでもたかが知れたものでしょう」 と言うとコックリ頷いた。 「タイの旅行会社がほとんど持っていってしまいますから」 とも付け加えた。 「日本語学校やってね、 そこの卒業生を通訳にして旅行会社に派遣したら?」 とアドバイスした。
それ以後しばらく会っていなかった。 聞くところによると 彼女は大型ベンツの後ろに乗って 毎日ホーチミンを駆けずり回っているらしい。
彼女とはこんなエピソードもあった。 マンション大手の地上げをやる人が、 「島津さんベトナムに良い話はない?」と聞くので 「今ホテルを作ったらよいですよ」と提案した。 「一緒に言ってくれ」と言われたので バンさんにアレンジしてもらった。 ハノイへ行って、 僕らは共産党のどこかの書記局の主任という人に 引き合わせてもらった。
「先生、この辺りにホテルを建ててくれるのでしたら 土地代は20年間無料です」 とホーチミン廟近く池横の一等地を簡単に指し示した。 あんまり簡単に言うので、地上げ屋さんが警戒してしまった。 「ホテルにカジノをつけさせてくれ」とか 「輸入資材を全部無税にしろ」とか 無理難題をつけ断ってしまった。
後から彼に聞いた笑い話だが、 共産党書記局主任という肩書きは 低いポジションだと思ったようだ。 日本では主任といえば係長の下くらいのものだから。 しかしベトナムではこの主任は オールマイティの力を持った人だったのだ。 さすがにバンさんはハノイ・ローズだった。 政府のどんな偉い人のところでも どんどんコネをつけて入っていたのだ。
バンさんはそれからも急速に資本主義化していった。 今では千万長者を超え、億万長者になる日も近いそうだ。
僕はもうひとつ、 インドシナ半島のことについて書いておかねばならない。 ベトナム人が心から敬愛するホーおじさんのことだ。 フランス植民地時代、 押圧されたベトナム人を鼓舞し、彼らを解放した。 「独立と自由ほど尊いものはない」というスローガンの下に、 南北の統一、民族自決という思想で 東側諸国と結び西側と戦ったのだ。 フランスをディエン・ビーフで破ったところまでは良かった。 その後アメリカと戦い、南ベトナムを開放したのだが、 その結果数百万の人々が亡くなっている。 さらにカンボジア、ラオス内戦を引き起こし、 インドシナの豊かな大地を血で染めた。
その後ベトナムは独立し、民族の自決もなった。 しかし戦いが終わって20年経つと、 ベトナムは自由主義経済そのものになっている。 僕はこう思う。 何もしなくても時が過ぎ人々が自由に交流するようになると、 今日のような状況になるのではないか。 バリバリ共産党員のバンさんが変わったように。 数百万の人々の血を流したのは ホーおじさんの責任かもしれない。 歴史の裏側から見た骨董屋のやぶにらみだ。
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