話を元に戻す。 若者は「ハーイ!」と片手を上げて、 感じの良い笑顔を振りまき僕一人の店の中へ入ってきた。 どうやら僕を店主だと思ったらしい。 手を後ろに回し軽やかに店内を歩いている。
ここはリバー・シティの3階にあり、 店は2店舗分あるので結構広い。 それに死角もある。 展示品がなくなっては僕の責任になるので 彼の後を付いて回った。 店の一番奥にある7世紀プノム・ダのビシュヌ神像の前で 彼の足がぴたっと止まった。 この石像は僕も欲しくて、 店主が帰ってきたら値段を聞いてみようと思っているものだった。 しかし、この手のものはとても高価で、 たぶん買えないだろうと半分あきらめている。
「ハーイ、これは何ですか?」と聞く。 説明してもしょうがないが僕の知識も少しは自慢したい。 「あのね!これ7世紀のカンボジアのもので プノム・ダ様式というとても貴重なものなんだよ」 どうせ買えないだろうから、 説明だけは楽しくやってあげようと思い、 「同じような石像がメトロポリタン美術館にあるよ」 と付け加えた。 「僕、近くに住んでいる。この石像と大きさは同じですか?」 と聞かれた。 つらいことに僕はメトロポリタンへ行ったことがない。 同じく3Fにあるチェンセンアートの主人に 「7世紀のプノム・ダの石像をメトロポリタンに売った」 と、聞いただけだった。
若者は結構シビアに次々と急所を突いてきた。 適当にごまかし、美術館の話はそらしたが、 なんだかんだと絡んできてかなり苦労した。 店内に展示してある プノム・ダのビシュヌ神像の説明はしっかりとした。 ほら貝、チャクラ、着衣の変化など説明は念入りにした。 6,7世紀のカンボジアとインドの関係や、 様式の共通性など僕が知っている専門的なところも披露した。 不思議なことに、 どこまでレベルを上げていっても彼はついてくる。 彼は頭が良く、理解の早いタイプだ。 カンボジア美術に詳しいとは思えないが どんどん吸収しているのだ。
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