30分ほど話をしただろう。 彼は石像を触りながら「幾らですか?」と聞いた。
その時彼の左手首のきれいな時計に気づいた。 スイスの安物時計スウォッチだ。 これは「アカン」と思った。 僕の店にも外人客が時々来て買い物をするが、 買ってくれる人はみな一流ブランド品をどこかに着けている。 たとえTシャツを着ていてもだ。 スウォッチはファッショナブルではあるけれど、 骨董品を買う人が身に着けるものではない。 「高いですよ。でも僕はこの店のスタッフではありません」 と言って先程まで座っていた椅子に腰掛け、 奥さんが入れてくれたコップの水を飲んだ。
その時、昼食弁当をぶらぶらさせながら彼女が帰ってきた。 「この人、あの石像いくらかと訊いてますよ」 彼女は若者をもう一度じろっと見て横を向いてしまった。 僕も忙しかったので 「それじゃまた」と誰に言うともなくあいまいな挨拶をして 店の外へ出た。 若者は僕の方を見て「バーイ」といって手を挙げた。 その時通路の向こうから店主が不景気そうな顔をして歩いてきた。 「ノリキさん、何も買ってくれないのか?」 タイでは買わなければはっきりと非難される。 同じことを日本で言うと大変なことになるが。 「あの石像幾ら?」と聞いた。 すると彼は目を輝かせた。 「アンタには特別で20万ドルだ」と言う。 とても僕が買える値段ではない。 「まあ、考えておくわ!」といって彼と別れた。
翌朝僕の泊っているシェラトンホテルから、 リバー・シティに続く渡り廊下を歩いていた。 上から下を見ると、 オリエンタルホテルの渡し舟から 例の店主が降りてくるところだった。 しばらく待って2階で彼を捕まえた。
因みにオリエンタルホテルは 当時何年間も連続して世界一の評価を取ったホテル。 僕も一度はホテルのダブルブッキングで 旧館のスイートルームに泊った事がある。 三島由紀夫やサマセット・モームが この部屋にいたかと思うとジーンときた。 一泊40万の新館スイートルームにも泊った事がある (人のおごり)。 広いベットルームが3室、バスルームが2つ、 ダイニングキッチンが付き、メイドの部屋もあった。 寝ていると他の部屋で電話が鳴り、 急いでゆくと次の部屋に電話が回ってしまった。 さらに追いかけると次の部屋の電話が鳴るという 極めて不愉快な経験をした。 「自分の枕もとの電話が鳴るまでほって置けばよい」 と後からおごってくれた人が言った。 貧乏人の僕が泊る部屋ではないとつくづく感じた。 そんなホテルだ。
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