多くの作品中でいささか忘れられているものに、 彼が情熱を注いで作り上げた陶磁器『源内焼』がある。 彼が幕府に具申した陶器工夫書が今も生家に伝わっている。 それを読むと、彼の情熱がひしひしと伝わってくる。
陶器工夫書の一説 ------------------------------------------------
揖斐十太夫様御代官所 肥後の国、天草郡深絵村産 1、陶器の土 一包 この土天下に並び無き上品に御座候。 伊万里、唐津、平戸焼など皆この土を用いております。 伊万里や唐津は日本国中に広くいきわたっている。 平戸焼などは将軍に献上されており、 その為この土は自由に売買できない。 中略 ・・・・・・・ 伊万里や唐津の職人たちは 古くからの覚えたことだけで新たに工夫をしていないので、 焼物も自然と下品になっている。 天草の土は中国や和蘭の焼物の土より抜群によいので、 工夫さえすればよいものが作れる。 日本人は外国のものを尊び、高価で買い求めている。 もし日本の陶器が外国より良いとなれば皆、日本のものを用いる。 そして外国の陶器に金銀を費やすことも無くなる。 さらに幾らでもある我国の土をもって 海外より金銀を得ることもできるので国の利益にもなる。 明和8年辛卯5月 平賀源内(印)
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と概略述べている。 閉ざされた社会の中でも源内は広い視野を持っていた。 さて、十年ほど前は、 こんなに価値のある源内焼の中皿が1枚10~20万円で買えた。 良い物と悪いものの区別がまだはっきりとせず、 わくわくするような優品が 思わぬ安値で入手できることもたびたびあった。 買った作品を手にとっていつまでも眺めていたものだ。 一年ほどで50点くらいの源内焼が手元に集まってきた。 骨董の現場で よいものと悪いものの区別がはっきりと付かない時期は 買い時といわれている。 殆どの人がまだ手をつけてないからだ。
(続く・・・・)
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