S会長は「もらうよ」と言いつつ 「簡単に、簡単に」とエッサフォームでくるませ、 ポケットに入れて帰ってしまった。 プワ~ンとベンツのエンジン音がまだ耳に残っているから、 30分も経っていないだろう。 S会長の秘書がお金を届けにきた。 僕が気変わりして返せ、というのを防ぐための処置だろうか。 この茶入では30万円近く儲けさせてもらって 僕も十分幸せだったが、何か物足りないものが残っている。
それから2週間後、 S会長がサザビーズのオークションカタログを持ってやってきた。 「キミ~ィ、ここのページを見!」 と言って茶入の載ったページをコツコツと指で叩いた。 きれいな茶入(小壷)一つに仕覆(布の袋)、 挽家(茶入を入れる木の蓋物)、 外箱など様々な付属物が付いている。 エスティメーションは2万ドルとあった。 「これね、入札しようと思っている。 挽家の寸法が買った茶入と同じだろ」 と言うので彼の魂胆がわかった。 中身を取り替えようとしているのだ。 入札は成功したみたいだった。 ついで堆朱盆や長持ちなど、 茶入にかかわる様々なものを1年ほど掛けて揃えたようだ。
ある日 「君のところでもらった茶入、立派な道具になったよ。 あんな小壷にこれくらいの着物を着せたわ」 と言って手を大きく広げた。 「○○家の蔵番を探していたが、やっと見つかった。 高かったよ。切手くらいの紙切れが30万もした」 と楽しそうに笑った。 「あの小壷にいくらの着物を着せたのですか?」と聞くと、 「フッ、フッ、フッ、ちょっとや」と言って答えてくれなかった。 「キミな~!お道具を作るときは チョットの矛盾もあったらアカンよ」 裂地、箱の時代、良い牙蓋、挽家の寸法、 物凄いエネルギーを費やしたようだ。 「実を言うと茄子の茶入は60年ほど欲しいと思っていたんだ。 いいものが出来た」 と彼は満足気だった。
良く似た漢作茄子の茶入で徳川家康所持と言われるものがある。 この手の茶入は昔から天文学的な値段が付いている品だ。 なにより売りに出ることがない名品なのだ。 この会長は物凄い実業家なのに、 骨董屋から買い取った品を磨いたり、 時代付けをしたりして楽しみつつ、小遣いを稼いでいるらしい。 そしてなかなかの化学者でもあるのだ。 お道具は育て、磨けよ、工夫せよの世界だ。
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